今帰仁伝

最近今帰仁のことが頭から離れません

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てぃーだブログ

今帰仁の面影三山時代第二尚氏時代

先中グシク

本日(2019年1月24日)の県内二紙の記事によると
”中城教育委員会が中城城跡の城壁補修のため石積みの解体作業を行っていたところ城壁の内部に ”護佐丸” 以前に ”中グシク” にいたと伝承された ”先中グシク按司” が築いたと推定される城壁を発見”

さらに

”これまで ”中グシク” の築城はこれまで14世紀後半とされていたが古い城壁の基礎となっている地層から出土した中国の陶磁器の一部から築城の年代は14世紀前半(1300年代前半)まで遡り ”中グシク” の歴史が書き換わることになる”



1322年に怕尼芝(はにじ:羽地)に追われた ”中今帰仁の王子(八男)” は美里伊波の地に逃れて ”伊波グシク;美里グシク” を築いたとされる

今帰仁王子は伊覇按司初代となり ”今帰仁王子・二代目伊覇按司(長男) 高瀬按司(二男) 大湾按司(三男) 玉グシク按司(四男) 山田按司(五男) 瀬長按司(六男)” が生まれている     
#高瀬がどこか不明です.越来?

伊覇按司二代からは ”三代目伊覇按司(長男) 安慶名大川按司(三男もしくは五男) 勝連按司(六男) 幸地按司(八男) 中グシク按司(十男)が生まれている

先代山田按司(仲昔今帰仁按司弟)” の後に 初代伊覇按司の兄 が ”山田グシク” を継いだが男子に恵まれず 初代伊覇按司次男(もしくは9男) を養子に迎え後年に ”伊寿留・護佐丸・安里清信・山田之子” が誕生した
#嘉手納町教育委員会が作製した ”屋良大川按司の墓(後大川)” を参考
#伝承などにより表現の異動があります

1440年 ”護佐丸” は ”座喜味グシク” から ”中グシク” へ居城を移した
そしてこれまでの ”中グシク按司” の後裔は ”先中グシク按司” となり現在の糸満市真栄里に ”先中グシク” を築いた


先中グシク


画像は糸満市真栄里の ”先中グシク” です

”護佐丸” の築城技術は優れていたとされる
”崇元寺” の創建に関わったとされる ”護佐丸の異母兄弟;安里清信(安里大親)” の技術のおかげかも知れない

”安里清信” は ”大城掟” として石工集団を抱えていた?

”護佐丸・阿麻和利の乱” の後に ”安里清信” は ”護佐丸の遺児” の ”盛親” の養父となった 


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